今夜は関ケ原の戦い前夜 戦死者の息づかいを感じた
2021/09/14
今日は関ケ原の戦いの 前日
関ケ原の合戦は
慶長5年9月15日(1600年10月21日)に
起こった戦いです
和暦と西暦がごちゃまぜに
なっていて1600年9月15日と
表記する本もあるようで
どちらが戦いの日と
するのか明日にでも
関ケ原町役場で確認しよう
私としては明日が
開戦の日とします
という事で今日と明日は
関ケ原の戦いに想いを馳せる
ブログを書いていきます
毎日の幸せは
ご先祖さまのおかげ
御墓掃除は こころを磨きます
岐阜のお墓クリーニング専門部隊
こころを磨く 「磨き専隊」です
ブログ更新 422日目
ずぅーと
前から気になっていた関ケ原
関ケ原に新しい合戦資料館が
出来てから行ってみたいなと
思っていたけど
コロナ禍で人数制限の
予約制になっていた
雨の日にぜひ行きたいと
考えていたけどなかなか
予約できずにいた
そして
緊急事態宣言が発令されて
9月30日まで閉館になってしまった
資料館はあきらめて
関ケ原の戦いの軌跡を
自分で尋ねる事にした
関ケ原の戦いの史跡を
訪ねるのは初めてです
車で一時間足らずの場所でも
あまりにも身近過ぎたのが原因です
先ずは 家康最初の陣
何度も看板は見てるけど
車を止めて見に行ったのは
初めてです
なるほど 見晴らしは良いです
家康はここで何を
思ったんだろう
明日の事を考えて
眠れんかったかもしれんね
そして 開戦場所
関ケ原の広さが感じられる
開けた場所です
ここから戦が始まった
タイムスリップする
自分の脳裏に殺気だった
兵達の死んでたまるか
という気持ちが迫ってきます
戦とは殺し合いなんです
生き残るために戦う
足軽達の息づかいと
熱気と殺気が渦巻き
足が止まります
三成の陣は山の上です
時間がなくて 登りませんでした
登ってみたら三成の気持ちに
なれたかも 今度登ろ
そして 決戦地
当時の関ケ原の様子は
分からないけど
ここに立つと開けた野原に
戦い勝利した東軍の
雄たけびが聞こえてくる
関ケ原 当時はどんな様子
だったのか
現在も残っている
神社などから
村があり民がいた
農民にとって畑の収穫などは
どうしたんだろう
急いで収穫したんだろうか
決戦を前に集結する大名達
その心の内には何があったのか?
現代人には 想像できません
関ケ原で戦った兵は
東軍88,880人
西軍83,200人
戦の記録は勝利した方が
書くから東軍は盛ってるね
戦死者数 ?
12,000人とも言われている
戦死者はそのまま野ざらしに
されたため正確な人数は
把握されていない
戦いは6時間で勝敗が決した
早く決着したのは
西軍の戦死者が
多かったという事か
家康が秀吉の軍師として
有名だった竹中半兵衛の
子息に命じて戦死者を弔った
西軍の武将を弔った五輪塔が
旧街道から脇に入った
森の中に一列に
並んでいるそうです
徳川の世になり西軍の遺族が
こっそりと故郷の石を
持って来て弔ったと
いわれています
関ケ原で戦死した者の
ほとんどが墓を建てて
もらえなかった
でも
関ケ原にお墓を建てて
もらった武将もいます
その話は明日へと続きます
では また明日
コロナに負けるな
ご先祖様の 「ありがとう」が
届きますように
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磨き専隊
岐阜県岐阜市加納村松町1-15
電話番号:080-6969-1917
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