関ケ原には 人を思いやる心を 伝えるお墓があるんです
2021/09/15
関ケ原の戦い
慶長5年の今日
天下分け目の合戦が
繰り広げられた
忠誠 友情 策略 葛藤の中で
天下に名だたる武将たちの
生き様を知った
敵味方を超え 戦の中で生まれた
信頼関係のドラマの現場で
天を仰いで散りゆく命の
はかなさに心が痛んだ
毎日の幸せは
ご先祖さまのおかげ
御墓掃除は こころを磨きます
岐阜のお墓クリーニング専門部隊
こころを磨く 「磨き専隊」です
ブログ更新 423日目
昨日のブログの続編です
関ケ原の戦いでは沢山の
戦死者が出た
家康は 戦いの翌日
敵の戦死者も含めた
供養を命じた
戦いで傷ついた神社の
修復も命じている
戦国の世の明日は我が身
であるが故の心配りだろう
戦いは 両軍の一進一退だったが
家康の策略が当たった
小早川秀秋の寝返りだ
家康は密かに
寝返り工作を企てた
寝返りは6武将おり
家康のしてやったり
の顔が浮かびます
寝返り隊のおかげで
東軍は勝利した
多くの武将が戦死したなかで
戦死した武将のお墓が
関ケ原には2つあります
奥平貞治
貞治は家康の命で
小早川秀秋の監視役をしていた
合戦当日は揺れる心の秀秋を
あれやこれやで促したらしい
お昼頃
ついに秀秋が寝返りを決め
大谷吉継隊を攻撃
自身も戦闘に加わるが
致命傷を負い戦死する
家康はその死を惜しみ
300石でその功を報いた
ちなみに1石は10万円
300石は3000万円
お墓は子孫が元治元年(1864)に建立
後に不破古跡保存会に
よって碑が建てられた
でもねぇ
碑の方が大きくて
立派なので
みんな碑を拝んじゃうよ
碑を小さくしてでも
お墓の石積みなどを直して
あげた方が供養になると
思ったね
大谷吉継
三成の親友で 家康と戦って
勝算は無いと3度忠告するも
三成の意思の固さに
敗戦を予測しつつも参戦する
小早川秀秋の寝返りを警戒して
小早川軍と対峙するように
陣を張っていた
そして小早川秀秋が寝返った
しかし何度となく退却させる
小早川の寝返りに
答えるように寝返った
脇坂安治らに三方から
責められ大谷軍は壊滅した
最後を覚悟した吉継は
家臣の湯浅五助に自身の首を
隠すよう命じ自害した
湯浅五助は 主君の首を埋めたあと
藤堂高刑(たかのり)にとらえられた
高刑が何か埋めた事に
気がつき問い詰めると
自分の首を差し出すから
主君の首の在りかは
秘して欲しいと 高刑に頼みます
高刑は それをうけいれ
五助の首を打ち取る
家康は五助の首を
打ち取った事に喜びますが
吉継の首の在りかを問い詰めます
家康に問い詰められても
「首と引き換えに
約束したので言えません
私を処分して下され」
とガンとして言わなかった
そんな武士の情けをつらぬく
高刑に家康は感心し
槍と刀を与えたという事です
関ケ原の戦いの後
大谷吉継の墓が藤堂家によって
建立されました
その隣にある湯浅五助の墓は
湯浅家の子孫によって
1916年に立てられた
自分の首を差し出して主君に
忠誠をつくす湯浅五助
約束を守り抜いた藤堂高刑
2人の心意気を褒めて
終わらす家康
敵も味方もなく人を
思いやる気持ちは
私たちも大切に
していきたいですね
では また明日
コロナに負けるな
ご先祖様の 「ありがとう」が
届きますように
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磨き専隊
岐阜県岐阜市加納村松町1-15
電話番号:080-6969-1917
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