関ヶ原の供養は 関ヶ原を知ることです 岐阜のお墓掃除屋「磨き専隊」です
2024/09/15
ブログ更新 1518日
西暦1600年9月15日
天下分け目の戦が
関ヶ原でありました
毎年今日のこの日には
関ヶ原の戦いをテーマに
ブログを書いてきました
今日は 違う観点から
関ヶ原を考えます
毎日の幸せは
ご先祖さまのおかげ
お墓掃除は こころを磨きます
岐阜のお墓クリーニング専門部隊
こころを磨く 「磨き専隊」です
それじゃ 2024年9月15日(日)
行ってみよう
関ヶ原の戦いは 当初
西軍の勝利が予想されていたが
そこは家康もお見通しで
裏工作が功を奏し勝利に導いた
そのドラマの中には
武将と武将の友情であったり
駆け引きだったり
ついこの間まで 切磋琢磨
していた者同士が
自分の生きる道を信じて
東西に分かれて戦った
関ヶ原のエビソードで
最も胸を打つのは
やっぱり大谷吉継の事です
毎年 このエピソードを
紹介しているので 今回は
やめようとしたのですが
新しい事を聞いたので
紹介します
関ヶ原の後
家康が大谷吉継の墓を訪れ
一晩を過ごしたそうです
吉継は 家康にとって
かけがえのない相談役だった
東西に分かれたけど
そんな頃を懐かしんで墓を
訪れたんでしょう
更に大谷吉継のお墓が
心を打つ物になりました
そして 別の観点から
関ヶ原を見てみましょう
関ヶ原の数か月前
家康は上杉景勝を討伐するため
会津へ向かいます
留守になった伏見城を
守るため鳥居元忠と
二千人の兵が残ります
西軍は伏見城を落とし
その後 家康を追いかけ
上杉勢と挟み撃ちを
かける作戦です
家康が出かけた伏見城へ
西軍が攻め込みます
四万対二千の兵力の差が
ありながら 一日でも長く
西軍を止めるために奮戦します
10日間 西軍を足止めし
家康を助けます
伏見城は 関ヶ原が
終わるまで放置され
染み込んだ血がいくら
洗っても落ちなかった
家康は 供養のため
伏見城の血が染み込んだ床を
お寺の天井板として
奉納しました
そのお寺は 京都三十三間堂の
そばの養源院です
私も見た事がありますが
足跡や 顔を押し付けて
付いた鼻などが残ってます
関ヶ原は 数か月前から
始まってたんですね
でね お墓にも故人を語る物が
飾られていることがあります
思い出の写真などが
石板に刻まれてます
どうやってやるのか
わかりませんが みたら故人を
偲べます
血天井は悲しいですが
思い出の写真をみて故人を
想えば供養になりますよね
最後までお読みいただき
ありがとうございました
では また明日
ご先祖様の 「ありがとう」が
届きますように
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磨き専隊
岐阜県岐阜市加納村松町1-15
電話番号:080-6969-1917
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