仕事の後は歴史探訪しても いいんじゃない
2021/10/19
ここは 関ケ原から
10キロほど離れた山村です
現在 施工中のお墓が終了し
時間があったので 歴史探訪へ
今日は歴史ヒストリーブログ
毎日の幸せは
ご先祖さまのおかげ
お墓掃除は こころを磨きます
岐阜のお墓クリーニング専門部隊
こころを磨く 「磨き専隊」です
ブログ更新 457日目
先ずはお墓のお話から
ビフォー
不思議な墓地で どうやって
行けばよいのか分かりません
教えられたのは
サさをかき分け
歩いていくと ポッカリと
開けた場所に到着します
ここが墓地です
4世帯のお墓があります
ここにお墓を立てるときも
苦労したようです
こういう土地では
こういった墓地が普通なのか
とても興味があります
で この近くに 関ケ原の戦いで
戦死した武将の
お墓がありました
武将の名前は島津豊久
関ケ原の戦いでは
島津は西軍に参加していた
小早川秀秋の寝返りで
西軍が総崩れになり
石田三成が敗走した後も
西軍として最後まで
戦場にとどまった
島津は戦況を見定めていて
最後まで残っていたが
最後は東軍に
島津の意地を見せつけ
家康めがけて突進した
と見せかけて東軍の真ん中を
敵中突破していった
追ってくる東軍と最後尾で
戦っていたのが豊久であった
関ケ原の戦いでは
鳥頭坂のしんがり戦という
しんがりとは味方の為
最後に残つて戦う事
そこで重症を負い自害した
そのお墓があるんです
小さな五輪塔ですが
細かい彫刻がされ 供養されてるな
という事が伝わってきます
本当に小さな五輪塔ですが
五輪塔の台になってる
石組も当時の状況を
よく伝えてると思います
供養のために真っ白に
してあげたいところでは
あるけれど
このまんまがいいんでしょうね
ちなみに大谷吉継のお墓は
キレイにした痕跡が
見て取れました
それも 地元の人たちに大切に
供養されてる証ですね
島津は薩摩藩の藩主で
徳川幕府を倒したことは
深―い因縁があるのかも
関ケ原周辺は 歴史好きにとって
たまんない場所です
関ケ原古戦場記念館の
シアターはお勧めです
ここを見た後 古戦場を
ウオーキングすれば
戦のほら貝の音が
聞こえてきますよ
では また明日
コロナに負けるな
ご先祖様の 「ありがとう」が
届きますように
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磨き専隊
岐阜県岐阜市加納村松町1-15
電話番号:080-6969-1917
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