今日は関ケ原にある武将のお墓に想いを馳せた岐阜のお墓掃除屋です
2022/09/15
ブログ更新 788日目
西暦1600年の今日
関ケ原の合戦が行われました
それで 9月15日は
関ケ原合戦の日に
制定されたそうです
で 今日は 関ケ原にある
のろし場で火縄銃を撃ったり
のろしを上げたりしたんだって
見にいきたかったな
のろし場とは 東軍が
勝利した事を知らせる
のろしを上げた場所です
関ケ原のどこからでも見えます
毎日の幸せは
ご先祖さまのおかげ
お墓掃除は こころを磨きます
岐阜のお墓クリーニング専門部隊
こころを磨く 「磨き専隊」です
それじゃ 2022年9月15日(木)号
いってみよう
関ケ原古戦場を訪ねると
合戦が始まった場所から
決戦地までは そんなに
離れていないんです
でも 東軍 西軍の武将たちの
陣地は 広範囲に散っています
先ずは 関ケ原古戦場記念館を
訪れよう
シアターは迫力です
関ケ原の戦いを学んで
最上階から関ケ原を見渡せば
ほら貝の音が響いてきそう
心は400年前にタイムスリップです
古戦場巡りは 自転車が
お勧めだけど 車で回っても
駐車場には 苦労しません
私は 暑いころに行ったから
車で回りましたが
各武将の陣地を回るのには
自転車は キツイかな
寝返りものの小早川秀秋の陣は
関ケ原でも 一番外れの
山の上にあります
陣をかまえた場所を
考えただけでも 心が
東か西か どっちにしようか
迷ってたと思われる
だってね 決戦地まで
走ったって 30分は
かかりそうだ
私が関ケ原の戦いで
一番心打たれるのは
西軍の大谷吉継の
エピソードだね
小早川秀秋の寝返りで
窮地に陥った大谷吉継が
もはやここまでと自害した
主君の首を隠した家臣が
その直後 藤堂高虎の甥っ子の
隆刑(たかのり)に捕まった
家臣が主君の首の在りかは
秘してほしいと
自分の首を差し出した
隆刑は 徳川家康の尋問にも
黙りとおした そして
藤堂家により吉継のお墓が
建てられたんです
関ケ原には いくつかの
武将の墓がありますが
最も 広くて 心がこもっています
戦場で亡くなったら
お墓も小さな小さな
五輪塔だったりするんですが
ちゃんとした 五輪塔を
建ててもらってます
この場所も 決戦地から
数キロ離れた山の中です
でもね 綺麗にされています
クリーニングしてから
10年ほど経過した様子の
コケの付き方です
山の中で400年も経過したら
コケだらけで とても
武将の墓とは 思えないでしょう
地元の方達に大切に
されているのが解かります
お墓の基本の形は現代と
さほど変わってないので
大切に綺麗にされてるお墓は
古さを感じさせないんですね
最後までお読みいただき
ありがとうございました
では また明日
ご先祖様の 「ありがとう」が
届きますように
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磨き専隊
岐阜県岐阜市加納村松町1-15
電話番号:080-6969-1917
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